| 最初はごく普通の中年男のドラマの顔をしたこの映画だが、主人公のクオイルがおばに連れられて先祖の土地に行くと、話は不思議な展開を見せ始める。まずはその先祖の土地であるニューファンドランド島の不思議さがある。島というのは海に囲まれた閉じられた空間であり、そこに生まれる社会も閉鎖的であるために、“陸”に暮らす人々から見れば、不思議なものである場合が多いが、この島の不思議さはそれだけではない。そこにあるのは呪いや迷信めいた言い伝えであり、クオイルの娘バニーは着いてすぐに始めてきた先祖の家から何かを感じ、家の言っていることを父親に伝え始める。
このどこか神話めいた物語はいったい何を意味しているのか。物語はクオイルの地元紙での活躍や軋轢、ウェイヴィとの恋というプロットを得てごく普通に進行しつづけ、クオイルという男の過去からの脱却、父親の抑圧からの解放へと向かうように見えるのだが、その脇では異常とも言えるような不思議な出来事が次々に起こりもするのだ。
これにはこの島がクオイルの心のメタファーという要素があるだろう。父親に海に突き落とされそれがトラウマになった男、その父親が死に、同時に妻が出てゆき、言われるがままにおばに連れられて父祖の土地にやってきた男。その男にとってその土地は父親そのものに違いない。父親を通って自分につながる血脈、それを意識することは自分にとって乗り越えられない壁である父親を意識することに他ならない。
この映画はずっとクオイルの視線から物語られる。夢のシーンが時折挿入され、それはほとんどが水に対する恐怖にまつわるものだ。ここで水はもちろん父親のメタファーである。自分にトラウマを与えた水と父親は彼の中ではひとつのものとして捉えられ、それが水という形を取って夢に現れる。夢のシーンには必ず目覚めるシーンが加えられている。しかし、彼は全ての夢を寝ているときに観ているといえるのだろうか。映画の中盤にボートが浸水し転覆するシーンがある。これは現実のできごとなのだが、唐突に始まるこのシーンは最初は夢だろうと思うように作られている。
このシーンを見て、目覚めているからと言って全てが現実とは限らないという思いに駆られる。どこまでが現実で、どこからがクオイルの心の反映なのか、それはよくわからないが、この島での生活の過程を通してクオイルは父祖のそして父親の呪縛を解き放つのだ。それが成功したということはラストシーンに明らかなメタファーとして表れる。
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