| プロットのほうはといえば突っ込みどころ満載、どうしてこんな無理な脚本で映画を撮ってしまったのかという疑問が次々わいてくる。特に幸太郎と同じ名前の少年幸太郎の描き方はひどい。いくら子供だからってこんなひどいことはないだろう。見たところ小学生くらいの年齢なわけで、この年代の子供はもっと賢しいはずではないか。知能的には3、4歳というこの小学生に物語の重要な部分を担わせるという時点でこの物語は破綻してしまっているのではないか。
ということなので、この映画の見所といえばとにかくくだらないというところだけだ。くだらなさという点で言えば、やはりなんと言っても宇宙人カーダを演じる板尾創路が全てを担っている。最近は漫才師あるいはお笑い芸人としての活躍の場はほとんどないが、その代わり喜劇役者としての活躍が目覚しい彼がこの映画を何とか救っていると言ってもいい。もともと喜劇役者としての才能もある哀川翔とのコンビネーションで笑いを振りまき、見るものを時々笑わせる。ほとんどが退屈な90分間のうちの何度かの笑い、それだけのためにこの映画を見る価値はないとは思うが、まあいいんじゃないのという感じである。
さて、この完全に非現実的なこの物語にあって幸太郎の恋人である香奈だけが異様に現実的なキャラクターである。他の人々がなんだかよくわからない論理に動かされて、異様な行動をとる中でこの香奈だけが現実的な観念に動かされて現実的に動いている。この異様な空間の中では彼女の行動は突飛に見えるが、実は彼女だけが普通である。
果たしてこのことに何か意味があるのかと考えてみたが、多分ない。これによって現実的ということがあくまでも相対的な価値観でしかないということを表現しているなどということは決してない。結局この物語の世界は自己完結した夢の世界でしかなく、彼女はそこに紛れ込んだ意味のない異物でしかない。
その閉じた物語は私たちに何も語りかけてはこない。そしてそれでいいのである。この映画はあくまでも暇つぶし、現実に紛れ込んだ意味のない異物でしかないのだから。
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