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強虫女と弱虫男

星星

2006/5/29
1968年,日本,128分

監督
新藤兼人
脚本
新藤兼人
撮影
黒田清巳
音楽
林光
出演
乙羽信子
山岸栄子
観世栄夫
殿山泰司
戸浦六宏
浜田寅彦
preview
 九州の炭鉱町、山がつぶれて失業してしまった家族を救うためフミ子は娘のキミ子を連れて京都へ行き、ネグリジェパブで働いてお金を稼ぐことに。失うものも何もない二人はお客をだましてでもとにかく稼ぐ覚悟でモーレツに働く…
  新藤兼人がモーレツな戦後社会を生きるたくましい女性たちを描いた傑作コメディ。
review

 新藤兼人といえば、まず脚本家として著名であり、濃密なドラマを紡ぎだすという印象が強い。しかしもちろん監督としても有名であり、夫人の乙羽信子を主役に据えた作品などに傑作も多い。そして、監督作品では脚本家の出自とは裏腹に映像表現が非常に力強い。例えば乙羽信子と殿山泰司を主役に据えて最小限のセリフで取り上げた『裸の島』はまさに映像が物語を語るような映画だった。
  そしてこの『強虫女と弱虫男』もそんな映像表現、とくに肉体的な表現が冴える作品である。びっしりとかいた玉の汗、銭湯の洗い場で見せる背中、不味くメイクした顔のクロースアップ、大口を開けたばか笑い、ビールをごくごくと飲む咽元、それらの肉体的表現はリアリズムの観点からすると過剰ではあるけれど、その過剰さが逆に映画というものがあくまでも肉体を持つ人間によって作られているものだということを思い出させてくれる。
  この映画のテーマのひとつは貧困であり、その貧困を生み出すシステムであるわけだが、この当時映画とはそんな貧しい人々に夢を見せる装置であった。現実ではかなわないような夢の世界がそこにはあり、貧しい人々はそのような生活に憧れ、憧れの世界での3時間(90分の映画の2本立て)をわずかなお金で買ったのだ。そんな時代にあってこの映画はその夢の世界から抜け出て、貧しい人々と同じ肉体を持つ人間をスクリーン上に顕した。そのような映画は観客に期待はずれの思いもさせただろうが、この映画は貧しい人々に対する応援歌であり、観客たちも最後には勇気付けられて映画館を出たことだろう。

 この映画がそのような貧しいものへの応援歌となったのは、この物語の主人公フミ子が貧しいながらも、自分の体は自分のものであるというプライドを持ち続け、そのプライドだけを頼りにあらゆるものに対して強情を張るからだ。彼女は全てお金をもうけるための損得勘定で動いているように見えるが、お金のためには何でもするという姿勢ではなく、貧しくとも自分のプライドは守り続けるのだ。その強情さが結果的に強いもの(=金持ち)から金を奪うことにつながる。そのような強さを持っていない金持ちたちはフミ子にどんどん金を奪われてしまうのだ。
  そしてそれをリアルに描いてしまうと生臭くなりすぎるので劇画的に描く。そしてその劇画的な表現を見事に演じる乙羽信子がすごい。過剰で劇画的な表現でありながら、乙羽信子はそれをリアルに演じる、体当たりの演技とよく表現されるような演技ではあるが、これは決して体当たりの演技ではなく、自分の演技の結果を完全に計算した演技なのだ。その結果に向けてあえて過剰に時には醜く、いやらしく演じる、それがまさに女優としての演技だろう。
  それに対して新藤兼人の演出は控えめだ。彼の演出の優れた点は説明が最小限しかないということである。全ての物事は唐突に起きるが、それに対して説明がなされることはない。それは時には笑いにつながり、時には観客に謎を残して観客に考えさせるのだ。

 すごく理不尽だがおもしろい。貧者の見方とか社会批判といった明確なテーマがあるわけではなく、正義を問うているわけでもない。しかしなぜか爽快で勇気づけられる。強虫女は強がりでどこか物悲しくもあるはずなのだが、それを凌駕する本当の強さを持っていて、それが観客をも圧倒するのだろう。

Database参照
作品名順: 
監督順: 
国別・年順: 日本60~80年代

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