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題名はベルリン・フィルと“子どもたち”となっており、映画の中でサイモン・ラトルも「子どもたち」というけれど、実際にこの映画の中心となるのは、ティーン・エージャーたち、だいたい高校生くらいの年代の“子どもたち”である。そして、取り上げられる学校はドイツの低い階層の子どもたちが通う学校であり、移民や難民の子どもたちがそこにはいる。中にはナイジェリアからたった一人でドイツにやってきた少年もいて、日本人がイメージするその辺の学校とは少し違っている。
そして、そのような低い階層の子どもたちは押しなべて自分に自信がないというのがこの作品の趣旨であり、彼らに自信を持たせるためにダンスをやっているというようなイメージで物語が展開されていく。
確かに彼らはいわゆる落ち着かない子供たちで、ダンスをやってもなかなか集中力が続かない。それをロイストンは何度も注意し、とにかくふざけたりしゃべったりせずに、黙って集中しろという。
子どもたちはダンスを覚えるということがこのプロジェクトの目的だと思っており、それはもちろん間違っていないのだが、ロイストンの目的はそこにはなく、子どもたちがさまざまなことを学ぶというところにある。ダンスをやることで体の動かし方を学び、筋力をつけ、集中力を養う。特に集中力を学ぶということは重要だろう。この映画で一番面白いのは、子どもたちがまじめにやらなければならない状況から逃げようとするのをロイストンがどうやって逃がさないようにするかというせめぎあいであると思う。そして彼は観客を前にして舞台で踊るという体験が彼らの集中力を今までにないくらいに高めるということを知っている。だから、なんとしてでも彼らに舞台を踏ませ、本当に集中するということを経験させたいのだ。
そのロイストンと子どもたちの戦いというか駆け引きは見ていて面白いし、子どもたちがこの映画を見ることは何らかの意味があると思う。しかし、映画として面白いかといえば、それなりの作品という程度かもしれない。TVでやったなら面白いドキュメンタリーとしてみるが、ドキュメンタリー作品として斬新なところは特になく、逆に子どもたちがTV向きの行動をとってしまっているところが目立ったりする。
だから一本の映画としては少々弱い。“ベルリン・フィルと”と邦題では冠のようにつけたが、そのベルリン・フィルもあまり活躍しない。でも、クラシック音楽のよさ、それがリズムを持ち、そのリズムは現代の音楽と共通のものであるということは伝わるから、やはり良質の教育用ドキュメンタリーなのだろう。
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