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オーギュスタンはいわゆる頭のおかしい人ではない。しっかり仕事もしているし、言っていることもちゃんとしている。しかし、どこかで考え方が普通とずれているのだ。オーディションのためにホテルのボーイの見習いとして働くことにするのはまあわかるが、そこで清掃係の女の子にいろいろ質問し、洗剤の名前なんかにやたらとこだわるというのはやはりなんだかずれているといわざるを得ない。
そんな風にずれていることで、まわりは怪訝な顔をしたり、少し困ったりするわけだけれど、それ以上に実害があるわけではない。彼は、おかしいというよりは、世間や常識というモノを気にせず、彼自身の価値観に素直に生きているだけなのだ。それが社会の枠の中に入ると周囲とずれているという感じになるだけである。
観ているほうは、オーギュスタンを見ながらおかしいなと思うこともあれば、オーギュスタンのみになって、まわりがむしろおかしいと感じることもある。その両方がうまく表現されているのがこの映画のおもしろいところだ。
オーギュスタンが頭が弱いただのおかしい奴だったら、下品な映画になってしまっただろうが、このようにオーギュスタンが彼なりに頑張って、自分自身の生きる道を選んで行っているのを見ると、心温まるし、何か勇気付けられる気もする。
こういう人は、実際に世の中にはたくさんいるし、そのためにこの作品もリアリティを持ってくる。ドキュメンタリー風の荒い映像もそのリアリティを高めるのに役立っている。これ見よがしの“ドキュメンタリー風”はいやらしいだけだが、このように自然に使われているのは好感が持てる。
そして、この映画を観ていると、私たちの誰もが持っている世間との“ズレ”について考えさせられる。世間なんてものはそもそも概念に過ぎないのだから、誰もがその世間との間に“ズレ”を持っている。その“ズレ”を無理して埋めるのか、それとも世間の冷たい目に耐えて自分らしさを貫くのか。最近は“自分らしさ”というものが重視される時代だが、それがいったい何を意味しているのか、それはよくわからない。 結局人それそれぞれがそれなりに世間と折り合いながら、自分らしく生きて生きたいと思う。オーギュスタンはそれをまったく自然にできてしまっている人なのだ。しかし、そんな彼が生きやすい人生を送っているかといえば、やはりそうではなさそうだ。
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