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こういう女同士の友情というのは私にはよくわからないが、恋人とは分かれることはあっても友達と分かれることはそうはないというのはわかる。男と女の違いをことさらにいうというのはあまり好きではないが、比較すると、男同士の友情と女同士の友情というのはやはり少し違う気もする。この映画の物語は、同じ男を好きになってしまう幼馴染どうしが一緒に住むことになるという話で、その一人スズが逃げ出してきた恋人とヨーコとの間にも以前関係があったということが最初からほのめかされる。
ヨーコはそのことを根に持ってかスズに冷たい態度をとるのだが、かといって相手のことを嫌っているとか、拒否しているというわけではなく、ちゃんと友達として思ってはいるのだ。この雰囲気が今ひとつ理解できないわけだが、ここに描かれたふたりの関係にリアルな空気が漂っていることは確かだ。
しかし、演出という面では、必ずしもリアルなものとはいえない。例えば、カメラの位置から音を撮ることにこだわったせいか、会話の声が小さくなり、聞き取りづらくなるシーンなどがある。時には鳥の声のほうが会話よりも大きく聞こえ、会話が聞き取れない。このような演出の狙いがどこにあるのかはわからないが、リアリティを求めているのだったら的外れではないかと思う。
人の耳というのは注目するものの音がよく聞こえるよううに機能するから(これをカクテル・パーティーの喧騒の中でも聞きたい音が聞き取れるということから効果というらしい)、遠くにいる人の会話でも、それに注目しているなら、周囲のノイズよりも大きく聞こえるはずなのだ。リアリティというのはカメラやレコーダーが捕らえたものそのものを使えば実現できるというものではなく、観客の視点として設定された場所から見て何がリアルなのかということを慎重に吟味しなければ実現できない。私にはこの作品よりも『スター・ウォーズ』のほうがリアルに感じられた。
もちろん、これらのシーンの狙いが別にあったということも考えられるが、私にはただじれったいだけのシーンのように見えてしまったのだ。
非常に日常的な物語を、生々しく描く。その点ではすごく入りやすいし、観る側が自分にひきつけてみることが容易だ。しかしそのせいで逆に日常の感覚とずれた部分が目立ってしまう。一般的にインディーズの作品などに環境音が強調されるシーンが多いのは、機材の質のせいもあると思うが、どこかでそのやり方によって「人工的ではないもの」を求めているのではないかとも思う。
インディーズ作品のセルフリメイクであるこの作品もどこかでそのような雰囲気が感じられる。日常性やリアルということをもう少し吟味して作品を作ったら、もう少し観客に伝わる映画が作れたのではないかと思う。
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