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ほとんど言葉を発しない無表情な中年が主人公というと、どうしてもアキ・カウリスマキの作品を思い出す。古ぼけた工場が舞台となるところなんかもカウリスマキっぽい感じがする。ウルグアイは南米の国で、カウリスマキの母国フィンランドは北欧の国、どちらも寒々しい風景ではあるけれど、やはりどうしてもフィンランドの寒々しさをウルグアイに望むべくはない。もちろん、この作品はカウリスマキを目指しているわけではないだろうから、比較すること自体ナンセンスなのかもしれないが、今日本でこの作品を見る以上、どうしてもカウリスマキを思い出してしまうから、そこに言及しないわけには行かないし、比較されるという意味ではこの作品はかなり損をしているのかもしれない。
淡々とした映像の作り方はなかなかおもしろいし、少ない表情の中で感情を表現するミレージャ・パスクアルという女優はなかなかいい。しかし、そうは言ってもあまりに淡々としすぎているし、何がおこっても結局何も起こらないのと同じという組み立て方がされているので、どうしても拍子抜けという感覚は否めないだろう。時々くすりとするようなところはあるけれど、それはそれだけで終わってしまい、それが何かにつながることもない。その当たりの中途半端さがどうもこの作品に力を感じられない理由だろうか。
この題名の“ウィスキー”は日本語でいうところの“チーズ”と同じ意味で、カメラの前で笑顔を作るための合言葉だ。この映画の中では2回登場する。この2回のシーンは非常に重要だと思う。1回目はハコボとマルタのふたりが写真を撮るシーンだが、ここではふたりともその“ウィスキー”の前後には本当によそよそしい。エルマンを加えた3人で写真を撮るシーンで、ハコボは1回目にもましてよそよそしいが、マルタとエルマンはそれほどでもなく、打ち解けた印象がある。
この“ウィスキー”が題名になったということから考えて、ここでハコボがする作り笑いが映画にとって大きな意味を持つということだろう。ハコボはこの2回の“ウィスキー”の時以外ほとんど笑わない。彼は完全に心を閉ざしている。母の死に際に立ち会わなかった弟に怒っているのか、ただのマザコンなのか、とにかく死んだ母親のことが原因で他の人間を完全にシャットアウトしてしまっているのだ。弟がやってきて、マルタとかりそめにも一緒に過ごすことで彼の何かが融解するのかというところがこの作品の一番のテーマともいえる部分で、そこにいろいろな感情が絡んできているようなのだが、結局最後までその結果はわからない。
ラストシーンの後をいろいろ考えて見ると、それはそれで面白いと思うが、もう少し何かが変わってもよかったのではないか。まったく変わっていないわけでもなく、すっかり変わったわけでもない。1時間半以上のドラマが展開されて、結局これだけの変化しかないのか。映画のファーストシーンは音楽とともに車が発進する場面であり、これはこの物語で何かが進展するということを意味しているように見え、そして映画の序盤では毎日がまったく同じことのくり返しだということをことさらに語る反復シーンがある。映画の始まりにはそれほど明確なメッセージがありながら、最後は尻すぼみ。そんな印象が否めなく、今ひとつ乗り切れない。
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