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遺産をめぐるエゴのぶつかり合いがすごい。特に惣領娘ということで家督を継ぐことに執念を燃やし、それがダメとなると、妹たちより一円でも多くもらうことに執念を燃やす長女藤代を演じた京マチ子は憎たらしいほどにうまい。ストレートにエゴをぶつけていく彼女を見てると、ふつふつと怒りがこみ上げてきて、それに次女の千寿、叔母の芳子が加わって愛人だった若尾文子演じる文乃をいじめる様は本当にものすごい。これを見ればどうしても慎ましやかな文乃に見方をしたくなるのが観客の心というものだ。
しかし、その藤代もどうも田宮二郎演じる踊りの先生にだまされそうな雰囲気をずっと漂わせる。そしてまた文乃も腹に一物ありそうな感じがして、その辺りの感情の出し入れというのが依田義賢の脚本のうまいところなのだろう。観客は宇市に傾いたり、文乃に傾いたり、はたまた藤代を案じてみたりと、登場人物のそれぞれの立場に入り込みながら、物語世界を体験していくことが出来る。
これによってこのドラマはより劇的になる。単純に文乃を主人公として、彼女に観客が感情移入するように映画全体を構築するという方法も取れたはずだが、この作品ではそのような方法は選ばず、誰かが善で誰かが悪という判断をすることはしない。同情するすべての人がそれぞれにエゴを持ち、そのエゴが命じるままに手に入れたいものを手に入れようとする。そのエゴのぶつかり合いをそれぞれの立場から描くことによってエゴそのものが物語の中心になり、テーマとして浮かび上がってくるのだ。
だから、この映画はなんだか最後までキリキリするような感じがする。エゴがぶつかり合うのを見るのは面白くもあるが、辛くもある。それはもちろん、誰しもが心の中に持っているエゴを非難されているように感じるからだろう。エゴに引っ張られて動いている人々は醜い。自分にもそのような醜さがあることを身につまされて知るというのはなかなか辛いものである。
だからといって、この映画が最終的にそのようなエゴの発露を非難しているのかというとそうではない。過剰なエゴは醜いが、自分のみを犠牲にしてまでエゴを押さえ込めとは言わない。むしろ、適度にエゴを働かせること、そして、エゴが対立するものであることを知ること、そのふたつが両立することによって人間関係もうまくいくといっているように思える。それは、どこか割り切った冷たい関係ではあるが、人間だれとでも親密になることが出来るわけではない。それは兄弟の間であっても同じで、そこに距離を保つにはそんな冷たさをどこかでもつ必要があるのだ。
見終わってみて、そんなふうにエゴについて考えたが、見ている間は女のどろどろした戦いを楽しみ、エゴイスティックな振る舞いの強烈さに圧倒されるばかりだった。かなり強烈な印象の映画。
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