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ジム・キャリーほど好みの別れる役者も珍しいが、初期の表情や動きで笑わせるドタバタ・コメディアンとしての面白さが年々薄れ、ヒューマン・ドラマ路線を走るようになって、どうもあくの強さがいっそう鼻につくようになった。私は基本的にジム・キャリーのコメディで笑えたことはほとんどないのだが、その傾向は年々強くなっている。そして、この作品でももちろんそうだ。映画全体を通して笑えるところはほとんどなく、時に失笑が出るくらいのもの。最後のエンドクレジットが始まったところだけはちょっと面白かったが、それ以外ははっきり言って何のために映画が作られているのかもわからない始末だ。
この作品はもちろんコメディなのだろう。しかし、ジム・キャリーの悪い癖で、どうしても自分は善人ずらしたくて、誰かを悪人に仕立て上げたいという思惑が見えてしまう。ここではアレック・ボールドウィンがその悪役を一手に引き受け、ジム・キャリーはその悪人と戦うヒーローとして登場する。基本的にコメディというのはギャップを笑うもので、そのためには自分と相手がいたときに、相手をバカにするか、自分を卑下するかしか方法はない。にもかかわらず、ジム・キャリーは相手をバカにすることなく、かつ自分を卑下することもない。ただ自分が面白おかしく動いたりして見せることで観客を笑わすことが出来ると思っているのだ。
しかし、バスター・キートンじゃあるまいし、この時代に動きで笑いを取り続けるというのはとてつもなく難しいことだ。『マスク』や『Mr.ダマー』の頃には、それもまだ出来たのかもしれないが、今となっては見る影もない。 しかも、ヒューマンドラマとしての成功していない。企業の倒産が相次ぎ、失業者が町にあふれるという現実をこの作品は題材にしているわけだが、それを風刺して何かを生み出そうというアイデアも感じられない。
ジム・キャリーの映画はいつもそうだが、彼はただただ自分が面白ければいい、自分が面白いことをやれば観客は笑うし、それで十分だと考えているように私には思える。映画を見る人がジム・キャリーのファンだったらそれでいいだろう。ファンだけが楽しめる映画、それがジム・キャリーが作り続ける映画なのだ。
ジム・キャリーを別に好きでなければ、もうジム・キャリーの映画なんて見なくていい。そう考えるのに十分なほどの駄作だった。
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