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ALWAYS 三丁目の夕日

2006/1/18
2005年,日本,133分

監督
山崎貴
原作
西岸良平
脚本
山崎貴
古沢良太
撮影
柴崎幸三
音楽
佐藤直紀
出演
吉岡秀隆
堤真一
小雪
堀北真希
薬師丸ひろ子
三浦友和
もたいまさこ
須賀健太
小清水一輝
マギー
温水洋一
ピエール瀧
木村祐一
益岡徹
preview
 東京タワーが建設中だった昭和33年、夕日町三丁目に住む小説家の茶川竜之介はまたしても文学賞に落選。一方、その向かいの鈴木オートには青森から集団就職で六子やってきた。自動車会社と結うには程遠い会社に六子はがっくりするが、とにかく彼女の東京生活が始まる。
 人気コミック『三丁目の夕日』を元に作られた映画。物語は原作とは関係ないが、時代設定などを借りる。CG技術を駆使して徹底的に昭和30年代を再現したハイテク・レトロ映画。
review

 ここまでわかりやすい映画を作るのは、普通なら勇気のいることだ。しかし、この映画が舞台とする昭和30年代という設定がそれを可能にしてしまう。それは、その日本映画の黄金時代でもあった昭和30年代という時代には、このようなわかりやすい映画が数多くあり、この映画のように安易な涙を誘うものらは「ハンケチもの」とジャンル化され、人々の人気を集めたのだ。
 この映画は、作品が舞台と刷る時代に映画ごとタイムスリップすることで、現代ではほとんど許されない(もちろん作るのは自由だが、現代の設定で作ってしまうとあまりに作り物じみていて、リアリティがまるでなくなってしまう)単純極まりない「ハンケチもの」を作ることを可能にしたという恐るべき映画である。
 そしてそれを可能にしたのは精巧なCGであり、その意味では、CGこそがこの映画の本当の主役であるとも言える。映画の序盤こそCGらしいCGが目について、きみの悪さを漂わせる部分もあるが(たとえば、虫を食うイモリはCGアニメ以外の何物でもないし、上野駅に集まった人々には繰り返しが目に付き、一人一人も精巧には作られていないのが不気味だ)、ストーリー展開に乗ってくるにつれてだんだんそれも気にならなくなってくる。目玉であるつくりかけの東京タワーは最後まで今ひとつクリアさに欠けている気もしたが、徐々にCGであることに気がつかないものが増えていくのも事実である。
 そのようにして昭和30年代の舞台装置に引き込まれた観客は、映画が娯楽の王様であった昭和その時代の観客の気持ちになってこの映画を鑑賞し、お涙ちょうだいの物語にみごとに感動させられるのだ。
 この映画はCGという21世紀の技術を借りて映画を復活させようと試みる。だから、この映画では、映画は最後までTVにその座を譲らない。夢の箱として人々に一瞬の夢を見せたTVはすぐに壊れるし、それが見せた映像はわれわれが見ている映像(つまりこの映画)と比べると、白黒でぼんやりしたお粗末なものに過ぎない。
 だから観客は映画の黄金時代を実感し、映画のよさを追体験することが出来る。そこではホームシアターもDVDも忘れられ、映画館に詰め掛けた人々がともに笑い、ともに泣いた時代の映画館にタイムスリップすることが出来るのだ。

 もちろん、それらはすべてノスタルジーに過ぎず、この映画が描くような町は本当にはなかったし、そんなふうな映画館もなかった。現実はもっと厳しく、今とそれほど変わらないものだったかもしれない。映画館には痴漢もいたしスリもいた。大衆の娯楽だったからこそ酔っ払いもいたし、浮浪児のような子供もいた。しかし、それらが思い出になり、無害になり、無臭になると、われわれはそれをノスタルジーとして懐かしむようになる。
 この映画はそのノスタルジーを完全に利用し、人々を浸らせる。それはとても心地よいし、映画が本来持つ非現実の体験に観客をいざなうものでもある。だから、映画にずっぽり浸かって、今はなく、実は今までもなかった理想的な昭和30年代という夢を体験すればよいのだ。その体験にはお金を払う価値がある。
 しかし、ノスタルジーというのは危険なものでもある。いかにも非現実的なSFの世界などは、それは現実らしくないがゆえにそれを現実と取り違えることはない。しかし、ノスタルジーの世界はそれがあまりに現実にあった過去に似ているがゆえに、それを現実と取り違える可能性がある。夢のような過去があったと錯覚することは現実の否定にもつながりうる。「昔はよかった」と懐かしむだけなら害はないが、それが現実の否定につながるとき、現実は今よりさらに生きにくいものになってしまう可能性もあるのだ。
 ノスタルジーに浸るのはいい。しかし、そこから現実に戻ったときに、それがあくまでも理想的な過去に過ぎないことを忘れず、その理想的な過去によって描かれた未来と今とがあまりに違っていることに失望しないようにしなくてはいけない。その上で、その夢の世界に浸り、夢を見るならそれは非常に楽しいし、ある種の癒しともなりうる。
 この映画にはそのような夢を見させるだけの力がある。もちろんCGの面でのあらを探してし合うと、浸りきれないという場合もあるだろうが、積極的に否定しようとしなければ、その世界に入り込むことが出来るくらいの完成度がこの映画にはある。そのためには基本的に映画館で見ることが前提になるが、こんな2時間余りの夢を見るのもたまにはいいものだと思う。

Database参照
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国別・年順: 日本90年代以降

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