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近年、漫画が映画化された作品というのは数多いが、特にコメディの場合は、映画としてのリアリティを離れた過剰な笑いがつかわれることが多い。それは、CGやらワイヤーやらの特殊撮影技術の向上によって漫画の世界が実写によって再現できるようになったということに尽きるわけだが、この作品もそのような漫画の過剰さがそのまま映像化されているという店で、あるいみでは今の時代らしい作品であるといえる。
たとえば、最初の黒富士のシーンで、母親を首まで埋めて、その頭をサッカーボールのように蹴ると、頭がはるかかなたへ飛んでいくというギャグ、これは過剰に非現実的にカリカチュアライズされていることでギャグとして成立しているわけで、これを本当にリアルに描いてしまったら笑うどころか残酷で目を背けたくなるものになるだろう。
つまり、この漫画の映画化、漫画的な世界の映像化という流れは、リアルであることを求めてきた映画が、逆にリアルではない世界を描こうするという意味で、映画に新しい流れを生み出しているといえる。にほんではカルトなギャグ漫画にそのようなシュールというか変化球的な笑いを狙った作品多いがゆえに、そのようなカルトなギャグ漫画を映画化すると、この作品のように過剰さが笑いを生むという作品になる。その作品数は決して多くないのだが、少なくはない。
そして、この作品を見ながら思うのは、それが漫画的であると同時にプロレス的であるということだ。プロレスというのはエンターテイメントの格闘技である。人間の肉体では出来そうもないことを実際にやってみてせて、観客を喜ばせる。それはある意味では漫画的な世界の実現であり、この作品のような映画と共通点がある。この映画はプロレスではなく、柔術を描いたもので、柔術というのはエンターテインメント性とはまったく逆にあるような格闘技である。そのような格闘技を描きながら、ギャグの部分ではプロレス的なものを描く。これは非常に不思議な気がする。
このプロレス的な、過剰な映画というのは、日本のギャグ映画に限ったものではもちろんなく、むしろハリウッドのほうに大きな流れが見られる。日本のアニメに影響を受け、アメコミを数多く映画化する今のハリウッドはこのような過剰さの宝庫であり、その過剰さはギャグよりもむしろアクションに向けられている。もちろんその流れが明確になったのは『マトリックス』からなわけで、『マトリックス』を見てもわかる通り、そのアクションの過剰さは過剰すぎることでギャグのようにもなってしまう。
それはまさにプロレス的である。『トゥーム・レイダー』も『スパイダーマン』も言ってしまえば、すべてプロレス的な作品でその過剰さは、ギャグの一歩手前にあるのだ。
この映画は柔術の映画であるがゆえにアクションシーンがものすごく地味だ。それが逆に面白くもあるのだけれど、ハリウッド映画のような過剰さ、プロレス的な感じはなくなってしまう。ギャグばかりが過剰で、おかしな感じを出しているだけに、アクションシーンとのギャップが感じられてしまう。
一昔前ならこの作品もかなり斬新な作品ということが出来たのかもしれないが、今ではこのようなカルトな漫画に世の中が追いついてきてしまっていて、その過剰さが斬新とはうつらなくなってしまったように思える。カルト漫画の映画化であることから一皮向けて、映画単体として何がしかの評価を受けるには、もうひとつ何か爆発的なものが欲しかった気がする。
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