| 映画は最初から、説明で始まる。物語のプロローグとして雪之丞の生い立ちや人間関係が語られ、ナレーションによって物語のあらましが話されるのだ。これは、存在フィルムをダイジェスト的に編集し、そこに字幕などをふしたものであり、その事はこの解説部分に使われたのと同じ場面が本編に再び登場することからもわかる。この説明に象徴されるように、これはあくまでも総集編なのである。監督や製作者が練りに練って編集された作品そのものではなく、3本の作品を寄せ集めたモザイク上の作品に過ぎないのである。本編を見ていても、話の筋はわかるが、重要そうなエピソードがぽんと飛ばされているような印象があったり、前後のつながりが今ひとつ判らなかった利ということがたびたびある。今やこのフィルムしか残っていないのだから、我慢するしかないのではあるが、作品を観れば見るほど失われた部分を見たいという渇望がわく。
それは、この作品が素晴らしい作品だからである。そう周辺として残された部分だけを見てもこの作品の素晴らしさは伝わってくる。そして、その素晴らしさの第一は林長二郎のうまさである。主人公の雪之丞に加えて、その協力者となる闇太郎、そして想い出の中の雪之丞の母親の三役を演じる林長二郎の演技は本当にすごい。
中心となるのはもちろん雪之丞の役だが、この役は女形の役である。女形が舞台で女の姿をしているのは当たり前だが、この雪之上は舞台以外でもほとんど女の格好をしている。しかもそれは女としてではなく女形としてなのである。そこで林長二郎は男を演じるのでもなく、女を演じるのでもなく女形を演じているのだ。それに対して闇太郎は男、母親はあまり出てはこないが女である。つまり林長二郎は男、女、女形という3つのまったく異なる役を同時に演じているということになる。そして、一見すると同じ役者が3つの役を演じているとは思われないほどにそれぞれが個性を持ち、しかもそれぞれが素晴らしいのである。
「永遠の二枚目」といわれる長谷川一夫だが、彼の人気がその甘いマスクにあるだけではないことは、まだ20代の彼のこの見事な演技を見ればわかる。この作品の林長二郎は本当に素晴らしいのだ。
映画の物語のほうは、はっきり言って欠落部分が多いために今ひとつといわざるを得ない。特に闇太郎やお初といった重要なキャラクターと雪之丞との関係性がわかりにくく、物語が盛り上がるところで物語に入り込めないという印象がある。やはり、3本で5時間近くなるオリジナルを見てみたかった。そのオリジナルを見れば、個々のキャラクターの組み立てや、その関係もしっかり描かれ、林長二郎の演技ももっと十全に楽しめただろう。
逃がした魚は大きいという要素もあるのかもしれないが、この残された部分を見ただけでも、この作品が日本映画史に残る名作であることは明らかだと思う。日本映画には失われた名作が余りに多すぎる。
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