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春の囁き

2005/11/18
1952年,日本,95分

監督
豊田四郎
脚本
植草圭之助
古川良範
潤色
豊田四郎
撮影
三浦光雄
音楽
芥川也寸志
出演
鈴木幸次
岡田茉莉子
三國連太郎
遠山幸子
千秋実
浦辺粂子
青山京子
久保明
千石規子
preview
 四国の小都市の有力者の次男である幸次は東京の大学に合格し、上京することになる。両親や兄は幸次に期待をかけ、盛大に祝ってくれるが、幸次は幼馴染で仲良しの八重子と会う約束が気になって仕方がなかった。やがて上京した幸次は伯父の家に居候しながら大学の新聞部に入る。そしてそこで吉村や林という刺激的な人物にであう…
 まだ戦後が色濃く残る時代、東京と地方、そして親の世代と子供の世代の間に存在するギャップを青春映画という形で描いた佳作。
review

 豊田四郎といえば、文芸作品の映画化で数々の名作をものしてきた監督であるが、この作品はオリジナル脚本で、自身が潤色という形で参加している。脚本が悪いというわけではないが、文豪の作品を映画化したいわゆる文芸映画と比べると、この作品はどうにも“軽い”という印象は否めない。もちろん、オリジナル脚本の作品というのは、時代性をリアルタイムに反映することが出来るから、このようなまさに今の時代に問題として浮かび上がろうとしていることを描こうとするときにはそれがふさわしい。文芸作品は映画のために書き下ろしたり、連載小説をリアルタイムで映画化しない限り、ある程度の時代的なギャップが存在してしまう。しかし、時の洗礼を経ることによって淘汰された作品は質の点では間違いがない。
 要するに問題は、時代性をとるのか、物語としての質を取るのかという問題である。豊田四郎監督は時代性よりも物語としての質を取り、それを忠実に映画にすることで素晴らしい作品を作り出してきたのだ。文学が原作の映画の中には原作と比べてがっかりという作品も多い中で、この監督はその読者が思い描く小説世界を映像として実現する技能に長けていた。

 その監督が、オリジナル脚本で同時代的な青春映画を撮ったのがこの作品ということになる。だからどうしても文芸作品を映画化した作品と比べてしまうが、そうなるとこの作品はどうも描き方が浅く、軽い作品と見えてしまう。
 この作品のテーマはわかりやすい。それは現在の社会に存在する様々なギャップである。地方都市から東京の大学に行くその土地の有力者の息子。その息子は東京でまず他の学生と自分との違い/ギャップに驚かされる。地方都市という温室で育った彼のであったことのないような人たちが東京にはたくさんいるのだ。そして、そこには東京に含まれる大きな格差、大学生として様々な人たちに出会うときに痛感するギャップも含まれる。現代の人身売買について調査しようとする幸次たちはそこに存在する貧しさ、地方とは違う貧富の差の大きさを痛感する。
 そしてそこでいろいろなことを学んだ彼は地方に戻ったときに、地方に残してきた幼馴染との間にギャップが存在することを彼は痛感する。もちろんそれは幼馴染の側でも同じことだ。このままふたりとも地方で過ごしていたら、結婚することになったかもしれないふたり、幼馴染の八重子は予定通り高校を卒業して事務員などをしながら花嫁修業をする。それは娘が女になる段階として当たり前のものである。しかし、東京から帰ってきた幸次にはそのようにして嫁入りの準備をする八重子が「変わった」と見えてしまう。幸次も地方にそのままいれば、その変化を素直に受け入れることが出来たのだろうが、東京に行ったことによって彼はそのような価値観を受け入れられなくなってしまう。
 これはまさに東京と地方とのギャップ、この直後、高度経済成長期に入ることによって加速度的に拡大して行くギャップである。

 そしてそのギャップは親の世代と子供の世代という世代間のギャップにも拡大して行く。親とこのギャップとして鮮明化するのは幸次が田舎に帰ったときに明確になる父親との価値観の違いである。「大人はずるい」という言葉によって象徴されるそれはいつでも存在しているギャップではあるが、時代の変化の速度が速くなれば、そのギャップも大きくなる。それはその間の世代である兄と幸次とのギャップに現れる。幸次は新しい世代として家族から孤立してしまうのだ。もちろん家族の側ではそんな幸次を温かく見守ってはいる。しかし、そんな家族的なつながりは存続している中でも幸次はそこに決定的な断絶を感じざるを得ないのだ。
 そしてそのような世代間のギャップが先鋭的な形で出てくるのが岡田茉莉子演じる林伸子である。彼女は警察官の言葉に対して「ええ私はアプレです」という言葉で応戦する。「アプレ」は最近ではもちろんほとんど耳にしないが、もともとはフランス語の「アプレ・ゲール」から来た言葉で、戦後派という意味を持つ。そもそもは文学のジャンルで戦後にデビューしたような人々のことを行ったが、後に無軌道な若者を指す意味にもなった。「アプレだ」と言うということは戦前あるいは戦中派である親の世代との違いを明確に示すことを意味する。親の世代が「近頃の若者は」という意味で使う「アプレ」という言葉を“戦後派”という本来の意味として使って反撃することによって、そこに存在する価値観の決定的な違いを表明するのだ。
 1950年代とは、そのような時代だったのである。

Database参照
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国別・年順: 日本50年代以前

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