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この作品の京マチ子はすごくきれいに見える。もちろん京マチ子演じる沙金の魔性の女っぷりがこの作品の中心だから、とうの京マチ子がちっとも魅力的に見えなくてはどうにもならないのだが、それにしても他の作品と比べても魅力的に見えるのは何故だろうか。
京マチ子と森雅行が主演で、京マチ子が魔性の女といえば、すぐ思い浮かぶのは黒澤明監督の『羅生門』である。この『羅生門』での京マチ子は美しいというよりは怖いという感じが先にたつように思える。『羅生門』が50年、この『美女と盗賊』が52年だから、彼女がそれほど変わっているとは思えない。したがって、この違いは演出と撮り方の違いから来るのだろう。
演出という点から言えば、この『美女と盗賊』と『羅生門』とを比べた場合、質の差は歴然である。同じ羅生門を舞台とし、キャストが共通するという以外にほとんど共通点は見られない。この『美女と盗賊』は単純な映画で、完全なる娯楽映画だから、演出はあくまでわかりやすく、悪く言えば深みがない。登場人物の表情や仕草で何かを表現しようというのではなく、いわば教科書的なインサートショットやセリフによって物語の筋や登場人物の心情を審らかにするわけだ。もちろんそれも悪くはない。しかし、同じ題材で同じようなキャストの『羅生門』という作品がある以上、どうしてもそれと比べてしまい、比べてしまうと安っぽさが目に付いてしまうというわけだ。
だから、最後までなんとなーく見てしまう。こんな映画の物語に深い含蓄などあるわけもなく、単純な愛憎の物語に終始するのだろうと。
そのような歴然としたさがある2作品ではあるが、こと京マチ子の描き方だけに限ればこの『美女と盗賊』のほうに軍配が上がるのではないか。そのポイントは京マチ子と他との対比にある。この作品では京マチ子はいわば掃溜めに鶴、むさくるしい中にある一輪の花として描かれている。それが京マチ子の美しさを引き立てているのではないかと思う。
映画の演出とはかくあるものだ。スクリーンに浮かぶいかなる人もものも演出によって生かされも殺されもする。この作品は作品としては、たいした作品ではないのだが、この京マチ子の美しさだけは記憶に残る。この木村恵吾という監督は狸御殿シリーズなどで知られるが、その作品の多くはB級と行ったほうがいいような娯楽映画である。安っぽいセットで単純な物語を映像化する。その演出に秀でた監督である彼は、その限られた条件の中で光るものを生み出すのがうまいのかもしれない。
木村恵吾と京マチ子といえば、京マチ子がナオミを演じた『痴人の愛』も忘れられない(譲治は宇野重吉)。この『痴人の愛』は京マチ子の出世作にもなった(京マチ子の実質的なデビューの年にとられた作品のひとつ)し、京マチ子とは相性がいいのかもしれない。
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