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日本のいちばん長い日

2005/8/15
1967年,日本,157分

 
            
     
 
 1945年7月、日本の無条件降伏を求めるポツダム宣言を日本は傍受する。それを受けてその諾否を検討する閣議が繰り返し開かれるが、結論は引き延ばしにされ、その間に広島、長崎に原爆が投下される。そして8月14日、緊急の御前会議において、天皇が終戦を決意され、ポツダム宣言受諾に向けた準備が開始された。しかしそれは“日本のいちばん長い日”の始まりを意味していた…
 大宅壮一が豊富な取材によって著したノンフィクション・ノベルを終戦から20年以上の時を経て岡本喜八が映画化。豪華キャストが戦争のもつ意味の大きさを示しているように思える。
監督 岡本喜八
原作 大宅壮一
脚本 橋本忍
撮影 村井博
音楽 佐藤勝

出演 宮口精二
    戸浦六宏
    山村聡
    三船敏郎
    志村喬
    高橋悦史
    井上孝雄
    中丸忠雄
    黒澤年男
    笠智衆
    天本英世
    中村伸郎
    北竜二
    伊藤雄之助
    佐藤充
    小林桂樹
    加東大介
    加山雄三
    新珠美千代

 

 

 


日本のいちばん長い日

日本のいちばん長い日

 

 

 

 「死人にどう報いるのか」という三船敏郎のセリフが印象深い。
 映画自体は、天皇は人々のためを思って終戦を決め、大臣(特に軍の)たちは部下のためを思って行動しているように見える。そこには、戦争責任を帰すべき官僚機構の腐敗や軍国主義の発露を見ることは出来ない。むしろ、それが発揮されるのは若い将校たちである。その謎解きは簡単だ。上層部の人々は自ら軍国主義を作り上げてきた人々だが、若い将校たちはその軍国主義教育の中で育ってきたエリートなのだ。彼らは軍国主義の中でしか生きて行くことが出来ないという危機感があるし、彼らの中にはそれを信じることしか出来ないものもいる。だから彼らは極端な行動に出てしまうこともある。それはその思想を信じてるが故というよりは、その考え方をする以外に生きる方法を知らないために、その思想が否定されてしまうことに自己の喪失の危機感を覚えるということだ。
 それに対して、そのような教育を施してきた上官がそれを押さえつけようとするというのはあまりにひどいあり方ではないか。軍国主義のヒエラルキー構造においては絶対的な存在である上官は、自分の名のもとに施されてきた教育に対して責任を持つべきなのではないか。今から見れば上官の方が常識的で叛乱を起こそうとする将校たちの方が狂信者のように見えるが、そのような狂信者たちを作ったのはその上官たちなのであるのだ。だから、上官たちも何らかの形で責任を取らなければならない。
 その意味では三船敏郎演じる陸軍大臣が選択する切腹というあり方は、今から見れば異常ではあるが、自分の責任に報いるという意味では、責任ある選択であったと考えることもできる。彼は自害することによって戦争で死んだ部下たちと、そして生きる術を見失った部下たちに対する責任を取ったのだ。

 ここに現れているのは、降伏の様々な受け入れ方だ。自分の思想に固執する者、自分の保身に走る者、自分の責任を取ろうとする者、その様々な受け入れ方がその戦争の意味の複雑さを表現する。戦時中に叫ばれた“お国のために”というスローガンはもちろん全ての人に当てはまるわけではなかったし、戦後にまことしやかに叫ばれた“一億総懺悔”という言葉もまた真実とは言えない。戦後日本人を表す言葉として広く使われるようになった言葉として“虚脱”という言葉があったが、終戦の報を聞いたとき、誰もが“虚脱”状態に陥ってしまったのだろう。そしてそこから、自分の本性が出てくる。軍事教育が自分の本性として据わってしまった青年将校たちには悲劇が待っているし、欲が頭を
もたげる人間は保身に走るのだ。
 その“虚脱”がそのまま現れているのは伊藤雄之助演じる児玉基地飛行団長ではないか。彼は終戦がせまっていることを知りながら、特攻隊員を空へ、そして死地へと送り出す。その翌日、ひとり空を眺める彼の顔にはまさしく“虚脱”の表情が浮かんでいるのだ。

 そのようにして人々を“虚脱”状態に落とし込んだ終戦の日から60年、この日は私たちにどのような意味を持つのだろうか。“虚脱”から始まったこの60年、その無の上に私たちは何を築いたのだろうか。私たちは死人に報いることが出来ているのだろうか。