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ベストセラー

デッド・ゾーン

2005/7/17
Dead Zone
1983年,カナダ,103分

監督
デヴィッド・クローネンバーグ
原作
スティーヴン・キング
脚本
ジェフリー・ボーム
撮影
マーク・アーウィン
音楽
マイケル・ケイメン
出演
クリストファー・ウォーケン
ブルック・アダムス
マーティン・シーン
ニコラス・キャンベル
トム・スケリット
preview
 高校の教師のジョンは恋人のサラにプロポーズをした夜、豪雨の中、交通事故にあい、昏睡状態に陥ってしまう。次にジョンが目を覚ましたときには、5年の歳月が過ぎ、サラは別の男と結婚してしまっていた。そのジョンが突然看護婦の腕をつかみ、彼女の家が火事であることを彼女に告げる…
 スティーヴン・キングの原作をクローネンバーグが映画化。クローネンバーグにしてはオーソドックスなスリラーという感じ。
review

 主人公のジョンは人の手に触ると、ビジョンのように何かが見えるわけだが、自分の意思で見るわけでも、触られた人の意思で見るわけでもなく、それは突然に啓示のようにやってきて、ジョンの目に見え、ジョンをその次空間へと追いやるのだ。
 このジョンが見る次空間とはいったい何なのだろうか。「未来を予見する」と周囲には言われ、予言者じみた扱いを受けるが、実際に見るのは未来とは限らない。現在、過去、未来、そのどれを見るかは彼には選択することは出来ない。彼はどのような法則で、その人の何を見るのだろうか。この映画の物語がジョンが見るビジョンによっているからには、その法則を解明していかないことには、この物語が何を意味しているのかを明らかにすることは出来ない。
 そこで鍵になるのはもちろんデッド・ゾーンという言葉だ。この言葉のもともとの意味はは銃が射撃を出来ない死角とか、川の淀んだ場所などというころらしいが、ジョンが「デッド・ゾーンに入る」というときのデッド・ゾーンとはどのような意味なのだろうか。まず、ジョンが見ているのは「本来見えるはずなのに隠されているもの」なのか、それとも「そもそも見えるはずがないものなのか」。最初の火事の場面などは「そもそも見えるはずがないもの」だが、記者の手を握ったときにジョンが告げようとしたのは「見えるはずなのに隠されている」過去だった。
 この辺りはご都合主義という感じもしなくはないか、それでも共通点はある。その共通点とは、ジョンが見るビジョンが示しているものとは、彼が触った人の“運命”であるということだ。その人の身にこれから降りかかる運命であったり、その人が逃れることが出来ない過去であったりするが、とにかくその人の存在に深く関わる“運命”を彼は見る。いや、見えてしまう。

 そして彼はその運命を変えることが出来る。
 このことは彼が神かあるいは悪魔のような存在であることを示しているのだろうか。私はそうは思わない。彼が運命を変えることが出来るのは、彼が変えられる前の運命を事前に知ることが出来るからに過ぎない。彼だけが知っていた運命とはそれが変えられた時点で運命ではなくなってしまう。したがって、変えられた後から見れば、彼が見たのは未来でもなんでもないただの可能性に過ぎなかったということになるのだ。
 そうなると彼は予言者でもなんでもなくなる。彼は触った人が関わる事柄の中で可能性が高い事柄を見るというだけのことだ。それを運命というなら運命と言っていいが、彼がそれを見ることが出来るのは、その触られた人の「デッド・ゾーン」にそのことが意識されているなのではないか。最初の事例の家が火事だということを知らされた看護婦も、自分のデッド・ゾーンにおいて、その可能性に気がついていた。たとえば、吸い挿しのタバコを置きっぱなしにしてきたことを意識の片隅で覚えていたとかいうことがあったのではないかと思うのだ。ジョンはその意識が導く運命を敏感に察知し、それをビジョンとしてみる。そういうことなのではないかと思うのだ。
 そうだとしたら、この作品はいったい何を言っているのか。私が思うに、運命とは自分で決めるものだという至極当たり前のことではないか。スティーヴン・キングはいつもおどろおどろしい物語を書いているようで、実はいつもそんな教条主義的なことも言っている。

Database参照
作品名順: 
監督順: 
国別・年順: カナダ

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