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メリンダとメリンダ

2005/6/26
Melinda and Melinda
2004年,アメリカ,100分

監督
ウディ・アレン
脚本
ウディ・アレン
撮影
ヴィルモス・ジグモンド
出演
ラダ・ミッチェル
クロエ・セヴィニー
ジョニー・リー・ミラー
ウィル・フェレル
キウェテル・イジョフォー
アマンダ・ピート
ウォーレンス・ショーン
preview
 ニューヨークのビストロで語り合う劇作家たち。そのうちのひとりが投げかけた話題を喜劇作家と悲劇作家がそれぞれどう物語にするかを語り始める。それは、ホーム・パーティの最中に予想外の客メリンダが訪ねてくるというきっかけで始まるエピソード、傷ついた心を持つ女性が巻き起こす騒動とは…
 ひとりのヒロインがふたつに分かれた運命をたどるラブ・ストーリー。喜劇バージョンと悲劇バージョンでは設定から展開までまったく異なった話になっている。
review

 同じ始まりから、その後の展開が二手に分かれるというのは映画では決して珍しい展開の仕方ではない。この作品もそんな手の作品かと思ったら、それとは少し違う。基本的な設定が共通しているだけで、メリンダという主人公の女性の過去もそれを取り巻く人々との関係もまったく違っている。悲劇のバージョンでは、ホーム・パーティーを開いている夫婦と旧知の友人であり、喜劇のバージョンでは、ホーム・パーティーを開いている夫婦の下の階に引っ越してきた女性である。共通しているのは夫と別れ、心に傷を負っているということ、そして新しい恋愛によってその傷を癒そうとしているということだ。

 面白いのは喜劇バージョンである。このバージョンでは物語の中心になるのはホーム・パーティーを開いていた夫婦のとぼけた夫ボビーである。このボビーを演じるのはウィル・フェレル、日本では決して有名ではないが、「サタデー・ナイト・ライブ」に95年から7年間レギュラー出演した生粋のコメディアンである。彼のおどけた演技には面白みがあり、彼がメリンダに抱える恋心がメリンダを輝かせるという効果もある。この喜劇を考えたという設定の劇作家は「喜劇は逃避である」というわけだが、この喜劇バージョンの方が面白いというのは、何かから回避しているということを意味しているのだろうか。つらい現実から逃げるために喜劇という虚構に逃げる。その様なことをウディ・アレンは果たして言っているのであろうか。
 そんなことを考えつつ、悲劇バージョンについても考えてみる。この悲劇バージョンはほとんどの登場人物の性格が暗い。主人公のメリンダはもちろん様々な心の瑕を抱えてかなり沈んだ気分でいるわけだが、彼女の周りのほとんどの人物が暗いのだ。とくにホーム・パーティーを開いていた夫婦の夫リーは非常に暗く、いらだたしい人物である。喜劇バージョンのボビーとは対照的な意味で彼も物語の中心になるとも言える。彼はあまり登場しないのだが、彼はメリンダを毛嫌いしており(その理由は明らかにならないが)、彼の周囲にはとげとげしい空気が漂い続ける。彼以外の人たちは必死に誰かを愛そうとしている。悲劇的な空気から何とか抜け出そうとしているのだ。しかし、それもリーという一人の男のエゴに負けそうになる。他人を愛するということとエゴという対立関係がこの悲劇バージョンからは浮き上がってくるのではないだろうか。

 そのようなことを考えて行くと、ウディ・アレンが考えるところ、悲劇と喜劇を分ける分岐点にあるのはエゴをいかに扱うかということなのではないかと思えてくる。エゴを正面から捉え、エゴイスティックな人間の存在を真摯に描こうとするとそれはどうしても悲劇にならざるを得ない。それに対して、そのエゴを何らかの形で回避する(ある意味ではそこから逃避する)と喜劇になる。この映画の喜劇バージョンではそれぞれの登場人物が自分自身のエゴを自分のうちに押し留め、そのエゴから沸きあがってくる欲望を押し殺して生きているのだ。それがボタンの掛け違いを生み、おかしさを生む。しかし、ひとつのきっかけからそのボタンがきちんとしたところに収まり始め、物語はハッピーエンドに向けて加速して行くというわけだ。それは、すべての人々がエゴを表に出してもそれが対立しないということが必要なのであり、そのように前提が作られているのがラブ・コメというジャンルのドラマなのである。
 悲劇バージョンの方も、実はエゴの発露によってかけ違えられていたボタンがきちんとしたところに収まって行くという展開は同じなのである。しかし、そのきちんとした結末が全員にとって幸せなものではありえない。だからこれは悲劇なのだ。ひとりのハッピーエンドのためには別の誰かに悲劇的な結末が待っている。その悲劇的な結末の方を主人公にかぶせる。これが悲劇というものである。 じつは、喜劇でも、悲劇的な結末を迎える登場人物がいる場合もある。しかし、その人物はその物語の中で重要な役割は与えられず、その結末は観客の意識に上らない。だから、ハッピーエンドであるかのように見えるというわけだ。

 このどちらがリアルなのかという疑問は不毛だ。なぜなら、喜劇と悲劇とは根本的には同じものであり、何を見せるかが違っているだけだからだ。観客は否応なく主人公の立場におかれるから、喜劇の方が見ていて気が楽なわけだが、現実には悲劇も数多くあるわけだから、悲劇の方がリアルであるとかんじられる場合もある。
 そう考えると、どちらがより本質的かとか、より深いかということはまったく議論の埒外にある問題なのではないかと思う。この作品は悲劇と喜劇を対置させることで、そのような本質的な問題に観客の目を向ける。さすがはウディ・アレンらしい巧妙な物語の組み立て方であると思う。

Database参照
作品名順: 
監督順: 
国別・年順: アメリカ2001年以降

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