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ひとつ、この作品は明らかにエミネムのプロモーションビデオの色彩が強い。ラッパーというものはまず社会の底辺からのし上がった者であり、自分自身のそののし上がって来た過程、自分が出てきたスラムについて語ることで人気を博している。だからそれを語ることに2時間近くを費やしたこの作品は、この作品全体がひとつの作品であり、告発であるということだ。
スラムのようなところから仲間たちの助けと自分の才能と努力によってのし上がったということ、それをネタにしてひとつの作品を作る。ここ映画で行われているのはまさにそのようなことであり、それはどうしようもない貧困状況にいる人たちの声を金持ちたちに向ける刃なのである。
と、言っては見たものの、この作品は別に何か辛辣なことを言っているわけではない。隣人のほとんどが黒人という場所で暮らすプアホワイトの境遇、それがこの映画に描かれているはずだけれど、そのことはこの映画にはほとんど書き込まれていない。
この映画の主人公であるエミネム自身が属するプアホワイトという階級、そこを問題にするんだったら、母親の愛人であるグレッグや、少し抜けたところのある友達のチェダーにもっと目を向けるべきだ。あるいは母親のステファニーに。特に母親の愛人のグレッグはプアホワイトの境遇を象徴しているはずだ。しかし、この映画は彼をどうしようもないやつと扱うだけでそれ以上何も発展させない。チェダーにしても、母親にしても、まったく問題化されず、どうしようもない奴らとして片付けられてしまっているのだ。
だから、全体の印象が非常に底が浅いものになってしまっているのだと思う。
この物語は非常に私的な物語である。Bラビットという若者の、才能はあるが、勇気のない若者が勇気を出して成功を手にするというだけの物語である。実はそこには貧富の差とか、人種差別とか、社会批判などと言ってものは一切存在しない。彼がラップバトルなるもので吐く台詞もただただ相手をけなすだけの台詞、社会に怒りをぶつけたり、世の中の不公平を告発するというモノではなく、ただただそこにいる相手を罵倒する言葉を紡いでいるだけだ。最後のバトルの勝利にスカッとはするけれど、その勝利は実は相手が自分に向けてくるであろう罵倒の言葉を先取りしたというだけで、いわば「負けるが勝ち」的なやり方である。深読みすれば、そのような浅はかなやり方によって勝ててしまうその仕組み自体に疑問を呈していると見ることも出来るわけだが、おそらくそこまでは考えていないだろう。
ここで語られているのはただ「俺はこんな風に成功したぜ」というだけのこと。それ以上のことはひとつも語っていない。映画を見て入り込めば、爽快感はあるが、結局「俺が偉い」といっているだけのような気がして、後味はあまりよくない。エミネムは格好いいけど ね。
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