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この映画はかなりの感動作である。
しかし、意外に捉えどころが無い。物語自体は地方都市で管弦楽団を作ろうという人々の物語であり、単純明快なのだが、実際のところ苦労している過程というのが描かれているというよりは、演奏旅行の旅程や行った先での出来事や、楽団員が入ってきたり辞めたりといういざこざといった具体的なことが描かれているだけなのだ。
そして、実は主人公といえる人もいない。なんとなく岸恵子と岡田英次が主人公っぽくなって入るけれど、捉えようによっては小林桂樹が主人公であると考えられるかもしれないし、もしかしたら加東大介と三井弘次が主人公って言ったっていいのだ。
だから、中心的なプロットになるかと思った岡田英次演じる速水と岸恵子演じるかの子の関係も、あっという間に恋愛して結婚してしまう。これではプロットというよりはエピソードである。
と、この映画がこのように捉えどころが無いのには理由があると思う。それはこの映画が群像劇であるということだ。つまり、主人公は誰でもなく、誰もが主人公であるということだ。
なぜこのような群像劇になったかということを考えると、この作品が独立プロの作品であり、監督が(共産党員の)今井正であるということに目が行く。つまり、これは共産主義的な集団が主役の物語なのではないかと考えられるのだ。
外見はメロドラマのように見えながら、実はかなり思想的な含みがある、これはそのような映画であるように私には見えた。演奏を通じた楽団員たちの団結、そしてそれを人々(主に貧しい人々)に対して演奏することで実現される大衆の団結、そのようなものがこの映画には描かれているのではないかと思うのだ。
だから、この映画のモチーフは地方の管弦楽団なのだ。文化的にも政治的にも後進的である地方が管弦楽団によって一体化し、教化され、もしかしたら革命の母体になる。そのような思想がこの映画の底流に流れているような気がする。
「そんな大げさな」と思うかもしれないが、オーケストラというのはものすごく一体感を感じる共同体である。いわば自分がひとつの歯車になってひとつの曲を作り上げる、しかし、同時にみなが主役でもあるような感覚、私もお遊び程度にオーケストラでバイオリンを爪弾いていたことがあるので、その感覚がわかる。そして、その一体感は演奏している側にとどまらず、観客のほうへも広がっているような感覚もまたするのだ。
だから、オーケストラというのは共産主義的な考え方を表現するのには非常にいいモチーフなのだと思う。
もちろん、そんなことは考えずに映画を観たって面白い。こういうグループものの映画は古今東西を問わずあり、面白い作品も多い。最近の日本で言えば『スウィング・ガールズ』なんかがこの系統に入るし、少し前のイギリス映画にはブラスバンドをモチーフにした『ブラス』なんてのもあった。
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