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この映画は面白くない人にはまったく面白くないだろう。なんと言ってもわけがわからない。この監督はしゃべらないキャラクターが好きなんだか何なんだかわからないけれど、『悪い男』でもしゃべらない主人公が登場した。この作品の主人公もしゃべらない。だから名前もわからない。そしてわけもわからない。主人公がしゃべらなければ、他の人も必然的に言葉数は少なくなるから、状況とか物語とかが言葉で説明されないことになる。だからまず物語を理解するのが難しく、物語を読み取ろうとがんばってしまうと結局最後までわけがわからず、つまらなかったという話になってしまう。
わたしもちっともわけがわからなかったが、けっこう面白かった。それは、この映画が仕掛ける“ズレ”にあるのではないかと思うのだ。“ズレ”というのは普通とはずれている部分、つまりはおかしな部分である。
この映画はそもそもの設定からおかしい。こんなところがそもそも存在するのか、あんなんで魚が釣れるのか、そしてなぜ外にソファーが置いてあるのか… 考えてみてもわからないことばかりである。さらに、主人公の女がもっともわけがわからない。やることなすこといわゆる普通の行動、予想される行動とはずれているのである。そして主人公のみならず、誰もが予想外の行動をとる。たとえば水中から太ももに千枚通しと突き刺すとか、釣り針を飲んで自殺しようとするとか…
そんな“ズレ”を見ていると、わけもわからずニヤリとしてしまう。その感覚は日本人で言えば矢口史靖の『ひみつの花園』を見ているような感覚に近い。この映画は『ひみつの花園』とネガ−ポジの関係にあるのかもしれないと思うような感じなのだ。その違いは主人公が物事に対する態度が、巻き込み方か巻き込まれ方かの違いである。
そのような“ズレ”が面白みを生んでいるから、この映画が進むにつれて徐々に現実感を失っていくのはむしろいいのだ。現実からどんどんどんどんずれていくその感じが心地よい。その感じはあくまでも感覚的なものなので、物語的なものではない。つまりこの映画を見れば必然的にそのような感覚に導かれるというモノではないのだ。だから面白くないと思う人ももちろん(たくさん)いる。それはこの映画の難点のひとつである。わかる人にわかればいいとは言わないだろうが、どうも自分の感覚を信じすぎているのではないかと思うのだ。それについていけない人は、楽しめない。そんな映画なのである。
そのような意味では、私も最後はついていけなかった。ラストシーンがその最たるものではあるが、その少し前あたりからどうもしっくり行かなくなったのだ。それはそれらのシーンが私には当たり前すぎるように見えたからだ。ずらし続けた感覚がその当たりで一気に弱まってしまったような感じ。ハチャメチャな方向に猪突猛進に進んでいたはずがいつの間にか軌道修正してしまったような感じ、そのような感じに違和感を感じたのだ。どうせやるなら最後まで徹底的にやったほうがいい。
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