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男はつらいよ 純情篇

2005/1/7
1971年,日本,90分

 
            
     
 
 旅先で帝釈天を映すテレビ番組を眼にした寅次郎は、そこに映ったおいちゃんたちとさくらを見て里心を募らせる。しかし、それを押し殺して長崎に渡り、五島へと渡る船着場で赤ん坊を抱えた女に出会う。その女・絹代が宿代を貸してくれというので寅次郎は自分の宿にその親子を泊まらせる…
 「男はつらいよ」シリーズの第6作。マドンナは若尾文子で、つねの遠縁でわけあって夫と別居し、とらやに間借りして店を手伝うという設定になっている。
監督 山田洋次
原作 山田洋次
脚本 山田洋次
    宮崎晃
撮影 高羽哲夫
音楽 山本直純

出演 渥美清
    倍賞千恵子
    若尾文子
    森川信
    三崎千恵子
    前田吟
    笠智衆
    太宰久雄
    佐藤蛾次郎
    宮本信子
    森繁久弥
    松村達雄

 

 

 


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 寅さんは相変わらずバカである。森川信演じるおいちゃんの「バカだねぇ」という台詞は映画史に残る名台詞だと思うが、この作品でもそれが何度も出てきて、「ああ、寅さんを見てる」という実感を覚える。
 さて、今回の恋の相手は人の女房ということで、いつものように手の届かない相手である。寅さんの恋はそれが決して実らないところに意味があるので、今回もそれのためには申し分のない設定となっている。しかも若尾文子は見事に深窓の奥様然としているし、いかににも手の届かない高嶺の花という風情なのである。その決してかなわぬ恋に寅さんは焦がれ、恋煩いで食欲までなくしてしまう。確かに寅さんはつらいわけだが、寅さんはこのようにかなわぬ恋をすることこそがしたいのだ。恋を実らせたいのではなく、ただ恋をしたいだけなのだ。その欲望のありようはなかなか不思議だが、寅さんとはそういうキャラクターだから、毎回同じように恋をし、同じように恋に破れ、同じように去っていく。その反復こそが寅さんを突き動かしているものなのではないか。
 だから、その辺りはこの作品だからどうということはない。はっきり言って何も変わらないのだ。

 この作品が他の作品と違っているのは、「故郷」に対する想いだろう。故郷=帰るところ、という考え方が物語のはじめから提示され、寅さんは矢も盾もたまらなくなって柴又に帰ってくる。帰ったら帰ったで疎んじられるわけだが、それでもやはり「帰るところがある」という思いが寅さんに安心感を与える。しかし、寅さんはいつも「二度とかえらねぇ」と考えながら旅をしているのだ。映画の最後に「ふるさとってのはなぁ」と行ったところで寅さんは去ってしまうわけだが、寅さんはいったいふるさととはどんなものだと思ったのだろうか?まず、寅さんはふるさとがあるということは幸せなことだと思っているだろう。完全な根無し草ではなく、放浪を続けていても帰るところがあるという安心感、これはなにものにも変えがたいということを実感しているはずだ。しかし、同時にそれに甘えているといつまでたっても大人になれないというのも本心のはずだ。それをあわせてみれば、ふるさととは寅さんにとっては母親のようなもの。温かく、いつでも待っていてくれるが、しかしその中にとどまっていてはいつまでたっても大人になれないものである。この映画からはそのことがじんわりとにじみ出てくる。
 面白いのはこの映画には母親が登場しないことだ。冒頭で登場する絹代にも母親はおらず、寅次郎にもさくらにも母親はいない。博にはいるが、この作品では問題になっていない。彼らはふるさと(具体的には家)を母親の代わりにしているわけである。しかし逆に、絹代とさくらは若い母親である。映画の最後でこの二人が子供を連れて出会うことで、この映画全体の母親不在が強調される。
 つまり寅次郎は常に母にあこがれ、しかし同時に母を振り切らなければならないという二律背反の衝動を抱えているのだ。「頭ではわかっているけど、気持ちがいうことを聞かない」という寅さんの言葉は心からの真実なのである。

 「男はつらいよ」はいつも同じようだけれど、実は毎回違っている。毎回毎回なにか引っかかるところがあるから、ここまで長く続いたのだ。今回それは“ふるさと”ということだったが、この“ふるさと”というテーマはまた繰り返されるテーマでもあるのだ。