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忠臣蔵といえば誰でも知っている物語、だからそのサイドストーリーにも人気が出る。この物語の主人公杉本十平次というのが赤穂浪士にいたということもこの映画ではじめて知ったくらいで、考えてみれば浪士それぞれにそれぞれの物語があり、そういう意味では47×いくつかの物語を作ることが出来るのだろう。
そんな中、この物語はかなり面白い。赤穂浪士が様々な商売人に身をやつす。武芸に才覚のない十平次は蕎麦屋となって、情報収集に努め、仕舞いにいは吉良邸に出入りする芸者であるお蘭に見初められたことで、お蘭のところにスパイに行くことまでを求められるのだ。そこにさらに槍術の名人である俵星玄蕃とその妹の妙なんてのが絡んできて、この三人の間に関係のような関係が芽生えるというわけだ。その関係の露骨でないところ、そのあたりが良き時代劇という感じでとてもいい。
こういった、控えめの、しかし心にぐっと来る演出というのはやはり時代劇でなくては出せない。現代劇でこのような演出をしてしまうと、あまりに嘘っぽくてハナにつく。このような古き良き日本の義理と人情と奥ゆかしさの人間関係を描くには時代劇という完成された世界が必要なのだろう。
時代劇というのはただちょんまげを結ってチャンバラが出来るというだけの舞台装置ではない。そこに登場する人々の価値観は現代とは異なっていて、それを前提として物語が組み立てられていくということである。もちろんそれは、ノスタルジーに過ぎず、現実に存在したものだとは思えないが、時代劇というジャンルがそのような幻想の集積によってひとつの完成された世界になり、もはやそこに疑問をはさむ必要はなくなったのだ。
この映画はそのような所与の時代劇という世界において、徹底的に娯楽の真髄を追及している。若い男女の奥ゆかしい恋、忠義のために命をかけるという決心、そしてヒーローになろうという心意気、それらが見事に絡み合って、完全なる幻想の世界を描き出している。
この映画が描いているのはまったく取るに足らない夢物語かもしれない。何も出来ないが、とにかく忠義のために命を捨てようと考えた若者が、ヒーローになるべく厳しい修行に耐える。そこに恋があり、挫折があり、苦汁を舐め、それでも前に進む。現代風に翻訳してしまえば、これは青っちょろい青春ものだ。しかし、これは時代劇であり、時代劇という世界を前にすると、そのようなドラマが非常に感動的なものに見えてくるのだ。
この佐々木康という監督は、時代劇というからくりを十全に理解して、それを非常にうまく使っている。痛快と感動を味わうのに最適な別世界を見事に作り上げている。
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