大河内伝次郎と長谷川一夫、黒川弥太郎という3人の時代劇スターの共演というだけで時代劇ファンにはたまらない内容だろう。そしてそのような豪華な映画を可能にしたのは東宝争議という映画界のゴタゴタだった。東宝争議について詳しいことは書かないが、とどのつまりは労使の争議であり、ストが決行されたわけだ。その中でスターたちはストの中止を唱えて「十人の旗の会」を結成、彼らに賛同するスタッフらとともに新東宝に移行したという経緯である。
それはともかく、その結果戦後2年にしてこのような豪華なキャストによる時代劇が撮られた(敗戦直後はGHQによって時代劇の製作は制限されていた)のだから映画ファンにはうれしい限りである。
そしてこの映画は正統な時代劇の体裁をとるが、ジャンルとしてはチャンバラものではなく、謎の殺人事件の真相を明かすという推理ものだ。しかし、そのような時代劇は多いし、そういう意味では正統な時代劇なのだ。そして、その中で大河内伝次郎と長谷川一夫はさすがに見事だ。特に長谷川一夫の表情にはいかにも時代劇という味がある。
高峰秀子は娘役で、時代劇には少し違和感があるが、さすが子役からの名女優で、メインの役どころではないけれど、見事な演技で存在感を示す。
という風に、さすがの名優たちはすばらしいわけだが、映画はどこか退屈だ。それはこの映画の「間」が今からみればすごく不思議な間であるというところにある。多くの場合は間が長すぎるように感じ、どうもテンポが悪く映画に乗り切れないという感じなのだが、必ずしもいつも間延びしているというわけでもない。
それよりも問題なのは、そこに使われる音楽なのかもしれないと思う。何か重要な場面に来た場合にその場面を盛り上げるような音楽が流れ、間が作られ、緊張感が高まっていくのだが、その緊張感が高まりきったときに何かが起こるのではなく、その高まりを超え間延びした感じになったところで小さな動きがあり(さすがの名優たちも痺れを切らしてしまったのか)、緊張感はゆるゆると緩み、そこで音楽はぷつりと切れて、そして多くの場合に劇的なことは何も起きないのだ。
この非常に不思議な間と展開に慣れることが出来ないまま映画は進み、なんだかわからないまま終わってしまうという感じもあった。果たしてこれは狙いなのか、それとも単にセンスの問題か。スターたちを見れば、それでたれりというそんな映画なのだろうか。
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