サーフィン映画なので主役はサーフィン。サーフィンをしているシーンがやはり中心になる。だから、サーフィン好きなら文句なしに楽しめる。出演している人たちも本当のトップ・サーファーということで、サーフィンをやっている人ならば、感心してみることだろう。サーフィンをやっていなくても、そのすごさはなんとなくわかるし、かっこよさはすごく感じる。すごく気持ちよさそうでサーフィンをやってみたくなる。この映画はサーフィン映画であり、やはりサーフィン、サーフィン、サーフィンなのだ。
しかし、それだけがこの映画の面白さではない。この映画がただサーフィンを映しただけの退屈な映画にならずにすんだのは、ナレーションというか、コメンタリーの面白さだ。主役である二人の行動を面白おかしく茶化したりしながら、彼らとともに旅をする感覚を与える。時には、サファリ・パークのようなところでエンストしてライオンに取り囲まれる彼らを冷やかしたり(冷静に考えると、冷やかしたりできるような状況ではないような気もするが)、彼らが旅で出会った人たちと育む友情を感動的に語ってみたり。
そんなナレーションが楽しいのだが、サーフィンができない人をバカにしている節もある。この映画は人間をサーファーとそれ以外の人に分け、さらにサーファーの中でも、うまい人とあまりうまくない人に分ける。その上で、サーフィンがうまい人以外はバカにする対象となるのだ。
これをアメリカ特有の差別主義の表れというつもりはないが、あまり気持ちのいいものではない。サーフィンはすばらしいものだろうとは思うが、それで人間を判断してしまっているというのはいったいどうなのか。もちろん、それだけではないし、映画ということで誇張されているということもわかるのだが、そのことによって映画自体が(サーファー以外の人には)面白くなくなってしまっているのが残念だ。
サーフィンという世界は、身近なようであまり身近ではない。なんだか格好つけていて、そこのところが格好よくない。そんな気がするわけだが、この映画はサーフィンをしない人たちのそんな気持ちを塗り替えるのではなく、再生産してしまうのだ。サーフィンは身近にあるようで、閉鎖的な世界であるというような気持ちを。
この映画がサーファーの世界という閉じられた世界だけに向けられたものならばそれでいいのだが、それ以上のものにしようとしているならば、それは決定的な欠点になってしまうと思う。
でも、これを見てサーフィンをやってみたくなって、サーフィンをやってしまったらサーファーになって、それでこの映画の世界に入ってしまう。ということでいいということなのかもしれない。そうでない人はサヨウナラっと。
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