この映画はまずはカート・ラッセル主演のB級アクション映画として非常に面白い。暗い未来を舞台とするところは『ブレード・ランナー』に似ている。この映画が作られた80年代前半と言えば、東西冷戦末期、世界は核戦争の脅威におののき、地球の滅亡が現実感を持って存在していた。そんな中、未来はくらい。この映画の設定では、1997年にもまだ冷戦は終わっておらず、人類の滅亡はますます切実な問題となっているようだ。
そのような背景があるにもかかわらず、カート・ラッセルはあっさりとヒーローとして登場する。大統領をとにかく救う。これだけのために動く。かなり有名人であるようなのにそんなに強くないのが不思議だが、とにかくヒーローとしてニューヨークを駆け回る。この単純さがアクション映画としての面白さを引き立てる。アクション映画はやはり単純さが肝心、ストレートなストーリー立てが映画の面白さを生み出すといういい見本になる。
そして、アクション映画の面白さとすれば、脇役たちのキャラクターもかなりいい。特にタクシー・ドライバーのキャビーなんかがとてもいい味を出す。
というところだが、この映画の真の面白さはそこにあるのではない。実はこれらの前提の全てが疑われていることが面白いのだ。カート・ラッセルは大統領を救うことに命をかけるが、それは大義のためでも祖国のためでもなく、ただ自分が救われるためである。大統領を連れて時間内に戻るしか自分が生きる道はない。それならば命を懸けざるをえない。そんな単純な理由付けである。そんな自己本位の理由付けを大統領という存在によって大義のために尽くしているかのようにすり替えてしまう。それがジョン・カーペンターのうまさなのだと思う。
そして、映画の本筋に見えるものから外れれば外れるほどジョン・カーペンターらしい面白さが転がっている。私が一番に注目したのは“クレイジー”と呼ばれる人々だ。彼らがクロース・アップで映されることはないし、セリフもないが、その存在感は絶大だ。地下に住み、マンホールや建物の地下から突然に現れて人を襲う。それはまさにゾンビのようで、襤褸を引きずるような格好もそれらしい。この“クレイジー”というキャラクターはまさしくカーペンターらしいもの。理解できない暴力的な他者の集団というのはカーペンターの映画に繰り返し表れるモチーフである。しかもこの映画ではその“クレイジー”たちが人を食料として狩っているらしいということで、そこに強いメッセージ性がこめられている。人間を食べてしまった彼らは人間性を失い、野蛮人に堕してしまう。ここでカニバリズムという伝統的なモチーフが繰り返され、それが見えない恐怖としてわれわれにまとわりつく。
ストレートに見えるストーリーを面白く見せるためにはこれらの準備/舞台装置が必要なのだ。ぱっと見は安っぽくて、適当に作られた映画のように見えても、この映画は実に周到に作りこまれている。そうすれば低予算でも映画は面白くなる。その非常にいい例である。
それにしても、主人公のスネークが映画の中で繰り返し「死んだはずだ」といわれるのはなぜなのか。結局最後までその謎は解かれない。ただ伝説的な存在であるということを示すためなのか、それとも隠された事実があるのか。15年振りの続編として作られた『エスケープ・フロム・LA』でその秘密が明らかになるだろうか?
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