ドラァグ・クイーンとは基本的に男性がものすごく派手な格好をし、歌ったり踊ったりするというもので、多くはゲイの男性が自己を解放するというか、ゲイである自分自身を明るく捉える方策であるのだと思うが、現在ではそのような意味は失われてしまって、とにかく明るければいいということになってしまっている。ドラァグ・クイーンは楽しいからやる。タダそれだけの同期付けで十分だということだ。それが証拠に日本では女性のドラァグ・クイーンなんてのも登場したりしている。映画でドラァグ・クイーンといえば、もっとも有名なのは『プリシラ』だろう。あの3人は紛れもなくドラァグ・クイーンだが、いま実際に見るドラァグ・クイーンと比べるとかなり地味だし、はじけ方も足りないという印象がある。
まあ、それはいいとして、この映画はそんなドラァグ・クイーンばかりが登場するし、その衣装からメイクからとにもかくにもドラァグ・クイーンがやりたいことをとことんやったという感じで満ちている。
だから、これを映画にするというのは結果に過ぎなかったのかもしれない。とにかくやりたいことをやって、映画になりそうだから映画にしてみた。そんな空気が伝わってくる。だから映画の核になるのは映像よりもその内容で、特に歌、中でも歌詞が一番面白いところだろう。映画ではしっかり字幕で歌詞が説明されているので、見ていてもかなり面白い。
映像としては70年代っぽいサイケな雰囲気がいい。ドラァグ・クイーンというのがそもそも現代のというよりは60年代とか70年代の生き物のような感じなので、それを映像に置き換えるとこうなるのだろうという感じがする。
しかも、この映画の舞台は未来だが、その未来像と言うのが現在の未来像ではなく、70年代あたりからみた未来像であり、映画の全体が70年代の(あるいはもっと昔の)SF映画のような雰囲気を持っている。それにしたがって、セットもしょぼくなり、特撮というべきものは円盤型の宇宙船をつるすピアノ線くらいという体たらくになる。
面白くはあるけれど、映画としていったいどうなのか。最後までそんな疑問はぬぐえないまま、しかし観終わった後は意外にすっきり。
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