この映画はコメディではない。コメディのような外見を保ち、エディとマーティンはギャグを繰り出しはするけれど、本質的にはコメディではないのだ。この映画は20世紀の黒人たちの歴史を描いたものだ。彼らが閉じ込められた刑務所で強制的に労働させられる彼らの姿は、レイが劇中でいうようにリンカーン以前の彼らの状態であり、刑務所というもの自体が奴隷制のメタファーになっていると考えることができるのだと思う。
その上で、彼らはその刑務所という奴隷制の止まった時間の中に一生を送る。それに対して外の世界はどんどんと変化していく。その変化は間接的な形で刑務所の中にも及んでくるけれど、レイとクロードの価値観・世界観を変えるほどにはやってはこない。
そんな中でこの映画の核となるのは、関係性の変化である。それは刑務所の内部と外部の関係であり、刑務所内部での人々の関係の変化であり、2人の関係の変化である。それは決して明確に表すことはできないのだけれど、その関係性に焦点を当てることで様々な見方を可能にする。
そして、そのような様々な見方を可能にする優れた物語性もこの映画の魅力である。結果がまず語られ、決して成功しないことがわかっている「脱走」を繰り返し描く。それだけではまったくありきたりの物語りだし、展開の面白みもない。それを面白くしているのはステレオタイプ化されたキャラクターの面白さだろう。ジャングル・レッグとかビスケットなどのキャラクターがじっくり描かれていて、彼らも隠れた主役になりうるというのがこの映画の面白さなのだと思う。
そして、もうひとつ重要なのは、人種の問題である。この映画に登場するのはほとんどが黒人、看守や所長に白人が登場するのみである。そして、時代性を反映して、それは対立で始まる。まだシャバにいるときに2人が白人専用のパブでパイを売ってもらえないというエピソードでそのことが明確にあらわされる。その後も白人の看守ジラードは彼らを犬のように扱う。
しかし、数十年が経ったとき、そのジラードが2人に親愛の情のごときものを示す。それは時代の変化による黒人に対する見方の変化というよりは、主従関係ではあるが、長年付き合ってきた2人に対する親愛の情なのである。それは結局のところ、人種問題のような感情的な問題は個人レベルでの親愛の成立によってしか塗り替えることができないことを暗示しているのではないだろうか。もちろん制度的な平等も必要だが、個人的な体験なくしては差別意識が消えることは決してないのだ。
コメディではないこの映画に、そんなメッセージを読み取る。
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