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ザ・ビッグ・ワン

2004/2/9
The Big One
1997年,アメリカ,91分

監督
マイケル・ムーア
脚本
マイケル・ムーア
撮影
ブライアン・ダーニッツ
クリス・スミス
出演
マイケル・ムーア
preview
 新しい本を出したマイケル・ムーアは講演会とサイン会のために全国の書店を回り、ラジオなどに出演するツアーを開始した。大都市だけでなく、小さい町や騒動が起こっている町を回り、大量解雇などを行った企業を訪問して問題を起こす。
 とにかく公園の様子が面白いし、それぞれの企業で起こす騒動はいつものように痛快。最後にはナイキの会長と対面するおまけつきで、マイケル・ムーアのパワーもますますアップ、大企業にも無視できない存在になったのか?
review
 わかりやすいというのは素晴らしいことである。とかくドキュメンタリーというのは小難しくなりがちだ。それは、ドキュメンタリーというものが現実を映している以上、現実に存在しているさまざまな人や団体や機構に対して平等でなければいけないという縛りがあるからだ。何かを批判するならば、それを緻密に論理立て、反証があればそれを提示する、そこまでしなければ正当なドキュメンタリーということはできないわけだ。だから、何かに批判的なドキュメンタリーは小難しくなってしまう。
 しかし、マイケル・ムーアはそのような論理的な証拠立てや反証にこだわることはしない。その意味でこれは正当なドキュメンタリーとはいえない。したがって、この映画をドキュメンタリーにジャンル分けすることは間違っている。この映画は間違いのなり正しいことを言おうとするのではなく、正しい/間違っているという判断はさておき、ある状況がある(あるいは状況があるとマイケル・ムーアが考えている)時に、そのことを当の本人に突きつけてみたらどうなのかということだ。大量解雇を行った会社があって、代わりにメキシコの安い労働力を使うことにした。というときに、それについてどのような意味があるとか、どのようにしたらいいかとか、そういうことをいうのではなく、ただ当の会社にそのことを突きつけてみる責任者に突きつけられればいいが、それはなかなか難しいのでとりあえず、窓口になる人たちに突きつけてみる。そしてそこでの反応をそのまま観客に見せて、それをどう思うか、という疑問を投げかける。
 観客は小難しい論理的な証拠よりも、こんな人間の反応、表情や口調から読み取れる人々の感情を観たほうが物事をわかったような気になる。もちろんマイケル・ムーアの恣意的な操作、編集があることも忘れてはいけないのだが、その表情や口調には本当の感情が紛れ込んでいるということもまた事実なのである。
 そのようにしてわかりやすく問題を提示する。それがこのマイケル・ムーアの非常に優れた点であるといえる。これはあくまでショーなのだ。マイケル・ムーアはエンターテイナーであり、非常に面白くしかし社会的なショーをやっている。そう考えれば、ドキュメンタリーとしての不備に目をつぶってこの作品を楽しむことができるし、世の中の何かを変える、あるいは見ている人の何かを変えることにもつながるのだと思う。

 ということでこの映画はいわゆるドキュメンタリーではないと私は思うが(さらにいえば、そもそもドキュメンタリーというジャンル分けに違和感を感じるが)、基本的にはドキュメンタリーとして観られると思うので、この映画がドキュメンタリーとしては欠陥があるということも考えなくてはいけない。一番わかりやすいのは、恣意性ということである。この映画はいわゆる客観的な見方ではなく、マイケル・ムーアという個人の主観的な見方で組み立てられている。その恣意性が最もよく表れているのは、大統領候補であるフォーブスが宇宙人ではないか、とマイケル・ムーアが指摘する部分で、そのフォーブスの選挙事務所の職員にインタビューをし、その職員はフォーブスが宇宙人らしいとも取れる発言をしているわけだが、これがマイケル・ムーアのインタビューの仕方と編集の仕方によって生み出されたものであることは明らかである。このようなことをいわゆるドキュメンタリーとして、真実として提示したらとうてい認められないだろうが、マイケル・ムーアはこれをあくまでも笑いのネタとして提示しているのでそれで済まされる。
 そうして、この部分はひとつの笑いとして成立するわけだが、しかし同時にその笑いの奥に潜む不気味さをも表現するわけだ。
Database参照
作品名順: 
監督順: 
国別・年順: アメリカ1990~2000

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