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一人息子

2003/11/4
1936年,日本,87分

 
            
     
 
 信州の紡績工場で働く母親と二人暮しの少年良助は中学に行きたいがそれを母親に言い出せない。その時、学校の先生が来て、良助が中学に行くことを母が了承したように言った。母親はそれに腹を立てるが、よくよく考えて翌日、中学に行っていいと良助に告げる。それから十数年が立ち、東京で仕事口を見つけた息子のもとに母は訪ねていくが…
 小津安二郎のトーキー第1作だが、見事にトーキーを使いこなしている。物語展開も非常に素直で、わかりやすい作品。
監督 小津安二郎
原作 ゼームス・槇
脚本 池田忠雄
    荒田正男
撮影 杉本正次郎
音楽 伊藤宣次

出演 飯田蝶子
    目守新一
    坪内美子
    笠智衆
    吉川満子
    突貫小僧(青木富夫)

 

 

 

小津安二郎 DVD-BOX 第三集

一人息子

 

 

 
 後年の小津作品は素直ではないが、サイレント時代の小津作品は非常に素直だったと思う。それはサイレント映画の性質上、わかりやすく作らなくてはならなかったからだろう。映像と字幕だけで映画を作る。その当時はそれが当たり前のことであったにしても、それにはわかりやすさが必要だった。映画のテンポとわかりやすさ、ここをクリアしなければサイレント映画は面白くならない。
 そんなサイレント映画のわかりやすさとテンポのよさがこの映画にも依然としてある。軽快にしかもわかりやすく映画が進み、見ている側はまったく安心してみることができる。これはトーキー第1作ということでサイレンと時代とほとんど変わらぬつくり方をしたせいであるのだろう。
 そのような小津の作品が徐々に変化していくのは、サイレンと時代にすでに自分の作り方というものを観につけてしまっていたからなのかもしれない。サイレント映画時代に築き上げた自分のテンポ。それをトーキー映画にそのまま持ち込むとどこかわかりやすすぎる、あるいは軽すぎる、そんな印象を与えることに小津は気づいたのかもしれない。
 そこでさまざまな余韻(語尾)を映画に挿入し、サイレント映画のテンポと同じように感じれるトーキー映画のテンポを作り出した。それはトーキー映画から作り始めた映画作家の作品と比べるとかなりゆっくりとした物語展開になり、余計なものがたくさんあるように見えるかもしれない。しかし、それによって小津はサイレント時代とトーキー時代(さらにはカラー時代)を通して同じテンポに感じられる作品を観客に提供することができた。いわゆる「小津らしさ」が映画の作り方が変わってもかわらずあるというのは、そのようにして小津が作り方を変えてきたからなのだろうということが、サイレントからトーキーへの過渡期にあるこの作品からは見えてくる。

 この映画はそのような意味で少し小津らしからぬものに見える。物語は小津らしいものだし、メッセージのようなものも小津らしいものだ。しかし映画としては余分なものが削がれ、いろいろなことを考える暇が余り観客に与えられていないような気がする。小津の時間を体内に用意してこの映画を見始めた観客はあれよあれよと進んでしまう映画の展開に戸惑うかもしれない。それとは裏腹に小津映画に慣れていない観客には非常に見やすい(退屈しない)映画としてみることが出来るのかもしれない。
 そして映画に映る風景や貧困やとんかつやラーメンは日本らしい郷愁を誘う。お金がなくて教育が受けられなかった時代、東京と地方の格差、変わってしまったものと変わらないもの、そんなもの(ノスタルジー)を見出すために小津映画を見る人にもとてもいい映画だとも思う。