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天国の口、終わりの楽園

2003/2/14
Y Tu Mama Tambien
2001年,メキシコ,106分

監督
アルフォンソ・クアロン
脚本
アルフォンソ・クアロン
カルロス・クアロン
撮影
エマニュエル・ルベッキ
音楽
出演
ガエル・ガルシア・ベルナル
ディエゴ・ルナ
マリベル・ヴェルドゥ
preview
 高校生のフリオとテノッチは恋人たちがヨーロッパにヴァカンスに出かけてしまい、ドラッグをやって、パーティをやっても、あっという間に退屈に襲われる。そんな時、テノッチの親戚の結婚式で従兄弟の妻ルイサと知り合う。二人はルイサをドライブに誘うためありもしない「天国の口」というビーチに行こうと言い出す。最初は断ったルイサだったが、数日後夫の浮気を知ったルイサは二人に電話してビーチにつれてってくれと申し出る…
 『アモーレス・ペロス』のガエル・ガルシア・ベルナルと『夜になる前に』のディエゴ・ルナによる青春映画。監督はハリウッドにも進出し『大いなる幻影』などを撮ったアルフォンソ・キュアロン。メキシコらしい激しさを持つ青春映画。
review
 メキシコ映画の時代が来る。『アモレース・ペロス』の力強さが予感させたメキシコ映画の時代の到来をこの映画は確信に変える。このガエル・ガルシア・ルナルがハリウッドに取り込まれてしまわない限り、メキシコ・シティは新しい映画の都となりうるだろう。しかし、本当の未来はガエル・ガルシア・ベルナルがハリウッドに取り込まれ、骨抜きにされ、セレブリティのひとりとしてジェニファー・ロペスと同等くらいに扱われてしまったりするようなものかもしれない。それでも私は期待を込めてメキシコ映画の時代が来る。といいたい。
 ガエル・ガルシア・ベルナルはあくまでも現在のメキシコ映画のアイドルであって、彼がメキシコ映画を世界映画に押し上げていくわけではない。実際にそれをやるのはこの映画の監督アルフォンソ・クアロンであり、『アモーレス・ペロス』の監督アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥであるだろう。彼らはアレックス・コックスやロバート・ロドリゲスのようにハリウッドを目指すのではなく、メキシコにこだわる。この作品の監督アルフォンソ・クアロンはハリウッドで数本の映画を撮ったあと、メキシコに戻りこの映画を撮った。そしてこの映画はまさにメキシコの映画だった。メキシコを舞台としたハリウッド映画ではなく、あくまでメキシコの映画なのだ。
 なぜそうなのかといえば、この映画に映っているのはハリウッド映画とはまったく違う、メキシコの映像だからである。メキシコの風景、メキシコの人、メキシコの歴史、メキシコ人なら誰もが知っているであろうメキシコの歴史が何の説明もなしにポンと放り込まれる。そしてこの映画の登場人物はハリウッド映画の視点からするとあまりに破天荒すぎる人たちだ。しかし、本当のメキシコとはこのようなものなのだと思う。テノッチが乳母の育った村に目をやるとき、チュイが住む居留地について語られるとき、そこにはメキシコが抱える問題が横たわっている。しかし、彼らはそれをさらりと無視し、さもたいしたことではないかのように振舞う。そこにあるハリウッドが植えつけたメキシコのイメージとは異なるメキシコは、物語という制約でがんじがらめになったハリウッドとは異なる魔術的な映画空間を生み出すのだ。

 ただ、そのようなことは、古くはブニュエルが、最近ではエプスタインなどがやってきたことだ。しかし、彼らの映画は世界映画とはなりえず、ブニュエルはヨーロッパのシネアストにシュールレアリスム的文脈で受け入れられるにとどまり、エプスタインなどはマイナーなラテンアメリカの映画の1ジャンルとして片付けられてきた。
 今メキシコで生まれつつある映画は彼らが苦心して作り上げたメキシコ的な映画空間を継承しながら、ハリウッド的なエンターテインメント性をも備えている。このエンターテインメント性は無尽蔵に流れ込むハリウッド映画と、メキシコ映画をハリウッド化したアレックス・コックスらの影響を受けたものだろう。その2つの文脈のいいところを折り合わせて新たな映画空間を築く。
 この映画も優れた脚本があり、見終わった後にはほんのりと感動が残る。ただ破天荒な映画ではなく、ひとつのドラマとして見事に成立しているのだ。
 そのような映画が生まれる素地が今のメキシコにはあり、それがこれからどんどん増えていくという予感がするのだ。
Database参照
作品名順: 
監督順: 
国別・年順: メキシコ

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